緑色チャート・ポスター [石材]
堤 隆 「野辺山高原における後期旧石器時代の緑色チャート利用」
上記タイトルで、ポスターセッションを行います。
日時:2018年6月23日(土)・24日(日)
場所:早稲田大学戸山キャンパス 日本旧石器学会
※本部キャンパス(大隈講堂)ではありませんのでご注意ください。
ポスターセッション・コアタイム(24日(日)12:30~13:30)
上記タイトルで、ポスターセッションを行います。
日時:2018年6月23日(土)・24日(日)
場所:早稲田大学戸山キャンパス 日本旧石器学会
※本部キャンパス(大隈講堂)ではありませんのでご注意ください。
ポスターセッション・コアタイム(24日(日)12:30~13:30)
2018-05-31 06:47
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白滝八号沢黒曜石露頭 [石材]
白滝八号沢黒曜石露頭に、8月29日、調査に行ってきた。10年ぶりである。
やっぱり巨大だ!
なんとここにはユーミンが取材で来たのだという。
黒曜石にスピリチュアルな魅力を感じるらしい。
明日、9/2は青森県三沢市に五川目遺跡の細石刃石器群の借用予定である(日帰り)。
シンポジウムにあわせて、細石刃石器群展を開催予定である。
隠岐ノ島黒曜石原産地の調査 [石材]
6月末の2日間、隠岐ノ島黒曜石原産地の調査研究に行ってきた。
私としては、15年ぶりの隠岐ノ島再訪となる。(写真はフェリーから見た隠岐ノ島)
同行者は、広島大の竹広さん、島根大の及川さん、奈文研の芝さん、島根県教委の丹羽野さん、稲田さんらである。八幡黒耀石店の八幡浩二さんともひさしぶりに再会を果たせた。
同島の久見【くみ】の黒曜石原産地では、竹広さんが旧石器時代の採掘坑とされるものを発見しており、日本海に突き出た崖をロープ伝いに降り、その地点を調査した。
採掘坑とされるものが果たして人為的なものかどうか議論になっているが(島根県古代文化センター2013)、そうした検討も研究の一つである。
大洗海岸のガラス質黒色安山岩 [石材]
4月21日(土)、茨城県大洗海岸に行き、ガラス質黒色安山岩の産状を調査した。
道路沿いの海岸で、入るのには苦労がなかったが、
山ほど石材があるというわけではなく、海浜の礫の中に見出すのが大変だった。
それでも30分で、4、5個は採集できた。
打ち割ってみると、これがかなり硬い。旧石器人も製作に苦労したのでは・・・
この海岸沿いの大洗町役場も、津波で町職員の車が流されたと聞いたが、
港では護岸が崩落した個所など、震災の爪痕が生々しかった。
下呂石原産地探訪 [石材]
11/12、下呂石原産地を訪ねた。
下呂石の露頭のある湯ケ峰の東、乗政集落の上方である。
夏の豪雨で、道が崩れているので行かないほうがいいと言われたが、
確かにものすごい林道。でも何とか原石がある小河川へとたどり着いた。
ひとかかえもある巨大な下呂石が、ごろごろしていた。
【写真:軍手のあるのが下呂石の巨石】
続いて湯ケ峰の露頭へ、四駆フィットの腹をガリガリこすり、ようやくたどり着いた。
悪い予感が的中したのは、下呂温泉街までくだって来てから。
車が走らなくなったと思ったら、左タイヤが切れていたのだ。
新品タイヤと交換して1万円、でも山の中でパンクしなくてよかった。
身をもって下呂石が切れることを体感した時だった。
やっぱり、神津島産 [石材]
7月5日に産地同定を依頼した、黒曜石17点の分析結果が望月先生から早々に戻ってきた。
やっぱり写真の細石刃石核は神津島産だった。
http://tsutsumi.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05
器種は、細石刃石核12点、細石刃石核原形3点、細石刃石核稜付剥片2点である。
構成は、蓼科冷山群8点、諏訪星ケ台群6点、神津島恩馳島群3点だった。
このように神津島産は、肉眼同定と蛍光X線分析がほぼ整合する傾向にある。
やっぱり写真の細石刃石核は神津島産だった。
http://tsutsumi.blog.so-net.ne.jp/2011-07-05
器種は、細石刃石核12点、細石刃石核原形3点、細石刃石核稜付剥片2点である。
構成は、蓼科冷山群8点、諏訪星ケ台群6点、神津島恩馳島群3点だった。
このように神津島産は、肉眼同定と蛍光X線分析がほぼ整合する傾向にある。
恩馳へ2度目のトライ! [石材]
29日9時、恩馳への2度目のアプローチ。
春成先生は、かつて岡山大学の水泳班。水着を持参し、泳いでも渡る覚悟だ。
今度はやや小型の漁船「尚夏丸」をチャーター、島に近付く。
尚夏丸の船長は、諏訪間兄に似たパンチパーマのニイさん。
頭の中を、諏訪間兄の歌う「兄弟船」がぐるぐる回る。イカン!
♪ 波の谷間に命の花が 二つ並んで咲いている ♪
恩馳の岩礁には、波が砕け散る。昨日より荒い波だ。
結局、恩馳は我々を抱いてはくれなかった。
こんなに困難なのに、はたして旧石器人は、恩馳までやって来れたのか?
以降のブログでは、死ぬ思いでたどり着いた砂糠崎黒曜石露頭になどについてふれます。
神津島恩馳島黒曜石産地への渡船(その1) [石材]
8月28日9時、吉栄丸にて、調査グループは恩馳島への接岸に挑戦!
島には渡し場がなく、船のへさきから1か所しかない岩礁に飛び移る危険な渡しだ。
舳先には河合、前田、小野、工藤さんらが、渡るタイミングを見計らっている。
しかし熱帯低気圧の影響から波のうねりが高く、飛び移る岩礁は大きな波の下だ。
写真では穏やかそうに見えるのだが、波が荒い。
日本旧石器学会長が波にさらわれたのでは、八ヶ岳も役員の一人としてまずい。
とてもこの状況では不可能だった。
初日のトライは不成功に終わった。
2度目のトライは29日に。
神津島黒曜石原産地調査 [石材]
12年ぶり、神津島に渡ることになった。
日程は 8/27-8/30。旧石器研究者5名、春成・小野・島田・工藤・堤で行く。
恩馳島(写真)の黒曜石原産地は、波が静かで、周辺で漁業をしていない状況でないと渡れない。
漁船もチャーターした。1日5万円。
漁船のへさきから、岩場へ飛び移る。12年前は運よく渡れた。
しかしこの時はひどい船酔いに悩まされ、生きた心地がしなかった。
後期旧石器時代初頭と細石刃段階の本州で多用される神津島産黒曜石。
旧石器人は船で渡ったと考えるほかあるまい。
今日、神津島へは、東京竹芝桟橋からジェット船で3.5時間である。
神々の集う島は、果たしてわれわれを歓迎してくれるのか?
結果は来月のブログで。