展示に物語を紡ぐ [博物館]

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 近くにある市立博物館が休館に追い込まれた。入館者の大幅な減少と赤字、市の財政状況が理由だという。

 たとえば病院が廃止ともなるとたちまち住民生活に影響がでる。しかし、博物館がなくともいっこうに困らない。未曽有の不況も手伝って、博物館それぞれの真の存在意味が問われているといっていいのだろう。

 一方、同じミュージアムでも、上田市にある無言館は年間10万人が訪れると聞く。戦禍に散った美大生の絵には、絶望の底にあっても画学生が失わなかった希望が込められているのだと窪島誠一郎館主はいう。館名の重みも含め、人をひきつける強い力が絵に存在するのだ。

 私も、かつて企画した写真展「昭和のこどもたち」で、作品の放つ力を目の当たりにしたことがある。写真の主人公は昭和28年の小学1年生たち。今年100歳となる写真家熊谷元一が現阿智村で写したものだ。誰もが貧しさを抱えた時代の子供らの、遊び、けんか、学校、子守、田植えなど何げない日常を、教師でもあった熊谷の優しいまなざしがとらえた写真だ。

 写真を食い入るように見つめた人びとは、やがて堰(せき)を切ったように隣人と語り始めた。
 「あの頃」という懐かしさへの回帰がその足をいったんは止めさせたが、じつはモノクロームの写真の奥にある「ほんとうの豊かさとは何か」という問いかけが、観る者の心をとらえて離さなかった。

 「博物館行き」となったモノを、意図もなく時代順に並べただけの骨董的展示は、近く幕を引くことになるだろう。
 作品本来が備えた力を核に、織り込まれた物語をいかに引きだすか。それこそが展示という行為ではなかったか。人々の感性を揺り動かす展示の語りが生まれたなら、「博物館冬の時代」にあって、淘汰の波を抜け出す可能性が開けよう。

写真は熊谷元一撮影:「昭和のこどもたち」よりコッペパン(S28年)

朝日新聞(長野版) 2/10掲載
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000190902100001
 

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