30年前の12月、細石刃の卒論に取り組んでいたワタシ [思考漂流]

30年前の今日(1983年12月)、大学4年生だった私は相模野台地の大和市南林間のアパートで、必死で卒論を書いていた。
題名は「大和市上草柳地区における細石刃について」。
使用痕分析をしたり、折断を観察したりというもので、大和市上草柳第1地点の報告書に記載されている文章が卒論そのものである。

当時はワープロやパソコンなど発明??されておらず、万年筆で清書だった。

卒論の締め切りは12月18日、しかし報告書の原稿でもあり、そちらの締め切りの方が早かったので、卒論締め切りの10日前には提出できた。

あれからちょうど30年、当時はいまの自分を想像できなかったが、なんとか考古学で飯を食いつないでいる。細石刃研究の志も消え入りそうだが、なんとか胸の内にとどめている。
しかし、当時からちっとも自己の研究は進化していない。

最近の若い皆さんの研究を見ていると、まったくついていけない自分ではある。
老眼で実測も大変になってきた。老兵去るのみか。

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コメント 3

ジュンクワ

長くやっていますね。日本列島の細石刃石器群の研究の進展は八ヶ岳さんのおかげです。
by ジュンクワ (2013-12-09 04:31) 

A.E.G

何をおっしゃいます。博士がいなければ、日本の考古学は滅びます。
by A.E.G (2013-12-09 07:32) 

八ケ岳

う~ん、足カセなのでは・・・
by 八ケ岳 (2013-12-09 20:49) 

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