小鍛冶原遺跡のデポ [石器]

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神子柴遺跡より10kmほど天竜川を下った河岸段丘上に小鍛冶原遺跡がある。

ここは故下村修さんの実家近くで、下村さんは目の前に広がる畑の中から黒曜石の両面加工石器や頁岩の石刃をまとめて採取した。ほかに、剥片や石器は見当たらなかったという。神子柴系石器群に特有な”デポ”の状況を示している。分析ではすべて信州の黒曜石とでた。
この石器がきっかけとなって、下村さんは同志社大学の考古学の道へと進んだ。

これらは通常、尖頭器などと分類されるものだが、下村さんの物言いは慎重で、両面加工石器などと呼んだ。
事実、神子柴出土の当該石器は、スクレーパーのように使用されたことが使用痕分析からわかっている。

下村さんは、不幸にも学部生時代、長崎で海水浴中に心臓麻痺におそわれ、帰らぬ人となった。
若い20代前半の容姿のまま時が止まったが、現在、存命であれば55歳になろうという。
彼が採集したこれらの石器は、亡き息子の形見として、桐箱に収められ、ご母堂が大切に保管している。

5月末の日本考古学協会では、故人の遺志を継いで、この報告書が刊行される予定である。


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