港川人の下アゴ観察 [人物]

港川(軽).jpg
DSCN2978.JPG

約2万年前の旧石器人骨である港川人、今回、国立科学博物館と沖縄県立博物館などの下アゴの分析結果によると、骨を接着剤でつなぐ際、右の下あごのつなぎ方がゆがんでいて、実際より横幅が11ミリ広く復元されていたことが判明したとして、日本旧石器学会でも発表があったところだ。
ゆがみを取り除くと、顔立ちはかなりほっそりとし、下あごの特徴を数値化して比較すると、本土の縄文人の集団からはかなり離れた存在であることも明らかになったという(朝日新聞記事より)。

この研究成果は、私も国立科学博物館の海部さんからも直接教えていただいた。
私の持っているレプリカの下アゴを内側から見ると、確かに縦の接着面がみえる(写真下)。
この接着面のつなぎ方がゆがんでしまったのだろう。

港川人の顔つきもスリムになるらしい。

クロード・レヴィ=ストロース [人物]

levi_strauss[1].jpg

「かくも長く続いた時代を生きた芸術家たちが生み出した人類最古の土器、その驚くべき芸術性の開花、その創造性に我々は驚愕を禁じえない」 (一部略)

レヴィ=ストロースが、パリで開催されたJomon展で、縄文土器に贈った最大限の賛辞である。

昨年11月28日、レヴィ=ストロースは(1908年11月28日生 )100歳の誕生日を迎え、今なお健在だと聞く。
20世紀思想界の最後の巨人、「構造主義」の父にに、ノーベル賞の授与などが取りざたされたことはよく聞くが、すでにその域は超越しているのかもしれない。


アムッド洞窟人 [人物]

ネアン.JPG

イスラエルのアムッド洞窟発掘のネアンデルタール成人男性(25歳程度)の頭蓋骨。

 アムッド1号と名付けられたきわめて遺存のよい化石人骨で、1961年・64年に、人類学者鈴木尚を団長とする東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団により発掘された5体分の人類化石のうちのひとつ。脳容積は1740ミリリットル。ムステリアン石器群を伴い、5~6万年前のものとみられている。

 西アジア人類遺跡調査団は人類進化を化石と人類遺物の両側面から研究するために結成された。洞窟は、先史学の渡辺仁により、発掘に先んじた1960年に発見されたものである。
 アムッドとは、アラビア語で「柱」を意味し、発見された洞窟が柱のように聳え立っているからだという。

 写真は、八ケ岳が科学標本会社より購入した複製。
 マニアックな買い物で、そのお金があれば、今なら大型冷蔵庫の購入を選択しただろう。

ペイ・キドゥン先生 [人物]

pei.jpg

韓国コンパリ遺跡で住人と話すペイ先生。

漢陽大学校で韓国を代表する旧石器考古学者のお一人である。
先生が発掘されたコンパリ遺跡では、全谷里や舟月里遺跡などと同様なハンドアックスやチョッパーなどが出土した。

先生に遺跡をご案内いただいた98年のスナップ。
穏やかなお人柄の先生である。

サイモン・ケイナー博士来訪 [人物]

simon.JPG

サイモン・ケイナー先生が、浅間縄文ミュージアム”土偶展”を訪ねてくれた。

イギリスのセインズベリー日本文化研究所の副所長である先生は、私と同年齢である。
先生が京大留学時代の92年からのお付き合いなので、もうすぐ20年になる。
縄文時代のセトルメント・システムなどにも造詣が深い。
イギリスの紳士という言葉がふさわしく、ユーモアもある先生である。

秋、大英博物館で開催される”DOGU展”をプロデュースされている先生は、ぜひ見たいからと足を運んでくださった。
大英博物館とは比較できるべきもないが、国宝・重文とは異なる名も無き土偶たちの表情を細かく観察された。
”DOGU展”の展示プランや、カタログなども愛用のマックでみせてくれた。

「ぜひイギリスの”DOGU展”にもお越しください」
といってくれたのだが、おそらく訪ねることはできまい。
冬に里帰り展が東博で行なわれるので、その時見ることにしよう。

考古学者 森嶋稔 [人物]

img133.jpg

旧石器考古学に大きな足跡を残した森嶋稔。

写真左が森嶋、白手ぬぐいの人物が森山公一。
10年ほど前森嶋は鬼籍に入った。師弟であった森山公一もそれ以前に40代初めの若さで亡くなった。残念なことである。

森嶋の業績といえば限りないが、”神子柴系文化の追求”と”男女倉技法の提唱”は大きな業績だろう。

私は20代の血気さかんな頃、森嶋にたてついて”男女倉技法の解体”を試みた。
吼えた私に、森嶋はその恰幅のごとく微動だにしなかった。
しかし今にして思うと森嶋の”男女倉技法の提唱”とは、今で言う”バイフェス・リダクション戦略”の極みだった。
30年以上も時代を先取りした見通しであったのである。

今にして私は”男女倉技法の解体”が、遠吠えに過ぎなかったことを知ったのである。




キム・アッカーマンのテクニック [人物]

kim.JPG

みごとな腕前だった!
黒曜石の石器に、間接打法で樋状剥離を入れている様子。
都立大でのアッカーマン氏の石器製作ワークショップにて。

アッカーマン氏は、1967年以降、西オーストラリアを中心に、アボリジニの物質文化の研究に従事。石器を中心とした道具製作については、オーストラリアだけでなく、世界各地のものに精通している。
オーストラリア国立博物館など、3つの博物館のキュレーターを歴任。現在、Akerman Anthropology代表として、アボリジニの芸術、物質文化、道具技術についての研究を行う一方、アボリジニの遺骨や重要文化遺物の変換問題においてもコンサルタントとして活躍中。
2004年オープンの国立科学博物館の常設展に協力し、 その製作石器が展示されている。

氏の作った石器は、7つ前のコラム参照。

二人のフロンティア [人物]

File0011.jpg

由井茂也(左)と直良信夫
秩父山系三国峠、雨。

由井は列島の細石刃文化を明らかにし、直良は明石原人の見果てぬ夢を追い続けた。
それから半世紀。
列島の旧石器時代研究はどう変わったか。

八ケ岳旧石器通信もどうぞ
http://www.avis.ne.jp/~tsutsumi/

芹沢先生の思い出に 【1】 [人物]

gakusia4.JPG

「そうではない。荒屋型彫刻刀です」
その時、芹沢先生はきっぱりと言った。

私が、八ケ岳高原の中ッ原5B地点遺跡から発掘した石器を差し出して
「これが荒屋型彫刻刀形石器」です、と芹沢先生に説明した時のことだ。
先生は「彫刻刀形石器」という術語を好まれないらしい。

私は、他を寄せ付けない、「荒屋型」の命名者のナイフのような言葉に、思わず口ごもって次の言葉がでなかった。
1993年八ケ岳野辺山高原、由井茂也さんの『草原の狩人』の出版祝賀会での折りである。

右から芹沢長介先生、森嶋稔先生、そして私。
思えば私も若すぎた。そしてお二人とも今では鬼籍に入られた。



ネアンデルタール人の素顔 [人物]

ネアン女小.jpg

 ネアンデルタール人の全ゲノム解読に成功したというニュースが2008年に流れた。
 これによるとその分岐は66万年前ということで、私たちホモ・サピエンスとはかけ離れた遺伝距離をもつということである。

 そのネアンデルタール人女性の復元された素顔が、2008年10月に公開された。
 きわめてリアルだったが、なぜか親近感も覚えた。
 
 国立科学博物館に展示されている馬場悠男先生監修のネアンデルタール男性もリアルです。

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。