50年前の芹沢長介先生 [人物]

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神子柴遺跡調査(1958年(S33)での芹沢先生(左)。かなりダンディである。
右は信州の考古学者藤沢宗平先生。

撮影は林茂樹先生で、昭和19年戦艦長門に乗り込んでフィリピン沖海戦に海兵として参加した海兵であった。
当時、芹沢先生は病弱だったらしく「赤紙」は来なかったと聞いている。

ルイス・ビンフォード 没(1930-2011) [人物]

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巨星ルイス・ビンフォードが、この4月鬼籍に入った。80歳だった。

仏の巨匠フランソワ・ボルドとの「ムステリアン論争」をはじめ、ビンフォードは、常に論争し続ける男だった。
私も、「技術的組織」や「フォレイジャーとコレクターモデル」、「埋め込み戦略」など多くの概念を学んだ。
私の書棚にも『ワーキング・アト・アーケオロジー』や『ディベイティング・アーケオロジー』『ボーンズ』『ヌナミウト・エスノアーケオロジー』など、彼の多くの著作が収まっている。
とくに『ワーキング・・』と『ヌナミウト・・』は、何度も何度も開いた。

偉大な考古―人類学者のご冥福をお祈りするばかりである。

旧石器時代のマツコ・デラックス? [人物]

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写真はヴィレンドルフのビーナス。超有名な女性像である。

マツコ・デラックスというのはもちろん冗談だ。
旧石器時代にこれほど太っていられるというのは奇跡的だったのだろうか。
食料に困らないよう豊穣の願望を込めて作ったのか?

このヴィーナス像、オルガ・ソファーという米女性考古学者に言わせると、旧石器時代集団間の同盟関係を示す所持品で、氷河期の過酷な環境下を生き抜くための保険証券のようなものであったという。

(そういえばオルガ・ソファー、92年に一度会って、中ッ原5Bの報告書をプレゼントしたことがある。キツそうなおばさんだった。)

これはストーのオッサンの複製コレクションのひとつである。


藤森賞 若狭徹さんに! [人物]

第35回藤森栄一賞が若狭徹さんに授与されることになった。

昨13日、諏訪において選考委員会が開催され、私も末席に加わった。
結果、全員一致で群馬県高崎市教育委員会の若狭徹さんが選考された。
保渡田古墳群の調査・整備や、かみつけの里博物館の設置・運営、古墳時代の地域社会研究の功績がその理由だ。

若狭さんのエネルギッシュな古墳時代研究は、石器屋の私でも知っているが、研究とあわせて、本作りや博物館展示のデザインセンスがピカ1なのは、よく知られている。

私が最初に眼にしたのは、彼が書いた「岩宿の赤土を削る杉原荘介」のイラストだ(駿台史学掲載)。

近著では、「もっと知りたい埴輪の世界」(東京美術)が刊行され、ヴィジュアルで楽しい本となっており、「やられたっ!」と思った。

今後も、眼の醒めるような研究と本づくりをしてくれるのだろう。
おめでとうございます。

■ ネット上の著者紹介より
若狭徹(ワカサトオル)
1962年長野県長野市生まれ。その後群馬県高崎市に在住。1985年明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。旧群馬町(現在、高崎市)教育委員会において保渡田古墳群の調査・整備、かみつけの里博物館の建設・運営に携わる。現在、高崎市教育委員会文化財保護課主査。博士(史学)

立松和平さん 逝く [人物]

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立松和平さんの突然の訃報に接し、ただただ驚いている。

『浅間』(新潮社)という天明3年の噴火を題材にした小説もある立松さんには、その浅間山登山の折に酒を酌み交わし、さまざまなお話をした。

また、昨年8月には浅間縄文ミュージアムで「浅間」という講演もおこなっていただいた。
ミュージアムの縄文土器を見ながら、
「縄文の小説を書こうと思ったことがあるんですよ。でも世界観の把握が難しくてやめました」
とあのやさしい口調で、どこかすまなそうに言っていた。

お話のところどころに、仏教観に根ざす真理が見え隠れした。
いただいたお手紙(写真)にも、あの朴訥とした口調と同じ味わいある文字が並んでいた。

立松さんは私にこんな言葉を書いてくださった。
「雲を友として遥かな道を」

これからのさまざまなお仕事を考えると62歳という年齢は、あまりに酷すぎる。

今晩は『浅間』を再び開いて、ただただご冥福をお祈りしよう。



ネアンデルタールのアクセサリー [人物]

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野蛮か、はたまた、死を悼むようなやさしき人物か。

これまでゆれにゆれたネアンデルタール人のキャラだが、こんどはスペインの洞穴で、彼女(彼)らの身につけたアクセサリーが見つかったという【下記ニュース】。
ネアンデルタールも最後には飾ることを覚えたか。

スティーブン・マイズンは、彼女たちが ♪Hmmmmとハミングをしたとのたまうたが、スロベニアの洞窟ではクマの骨の「笛」が見つかっているという。ついには音楽まで愛でたのか・・・
この「笛」をめぐっては、否定的な見解も目立つ。

なかなかネアンデルタールなる人物像、興味深いところではある・・・

■ ネアンデルタール人も装身具=5万年前の貝殻ビーズ発見-スペインの洞穴で

 現生人類より先に出現し、一時期共存した後、約3万年前に欧州やアジア西部で絶滅したネアンデルタール人は、現生人類と同様に、貝殻でビーズとみられる装身具を作っていたことが分かった。英ブリストル大などの国際研究チームが10日までに、スペイン南東部の洞穴2カ所から、約5万年前の貝殻ビーズなどを発見した。
 化粧や装身具はこれまで、現生人類だけにある高い認知能力の証拠とされてきたが、ネアンデルタール人も、進化の最終段階では近い水準にあった可能性が高まった。人口が増えて社会が複雑になると、個人の社会的地位を示す必要から生み出されたのではないかという。研究成果は米科学アカデミー紀要電子版に発表される。
 見つかったのは、ひもを通すための穴が開いた直径数センチの小さな貝殻や、オレンジ色に着色された長さ約12センチのホタテ貝の貝殻など。着色料は赤鉄鉱などの粉で、これらを採取したとみられる場所も近くにあった。【1月10日 時事通信】 

旧石器考古学者 森嶋稔の言葉 [人物]

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「前向きなんかなまぬるい 前のめりに生きろ」

森嶋先生はこういっていた。人の何倍かは仕事をした森嶋稔らしい言葉だ。
その先生が亡くなって10年がたつ。

先生は、教師であり、詩人であり、書を嗜み、また民芸に傾倒した幅の広い人間であった。

「忙しい時ほどいい仕事ができる」
先生はこうもいっていた。まったく同感である。

忙しさは緊張感をつれてくる。
自分自身、ヒマな時ほど余計にグータラしてしまうのである。
なるべく忙しさの中に身をおくようにしている。

しかし、前向きでも、前のめりでもなく、ただマイナス思考な私自身であることは確かだ。

【写真中央が森嶋先生・右隣は坪井清足先生】

レヴィストロース死去 [人物]

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20世紀思想界の巨人クロード・レヴィストロース(Claude Levi-Strauss)が10月30日100歳で死去した。

レヴィストロースは、いわゆる「未開」社会の思考体系と神話は、現代(西洋)社会と基本的に違いはないとした。それは次のような言葉にも表れている。

「鉄の斧と石の斧に本質的な差はない。それは単に材質が違うに過ぎないのだ」

私も多くの著作に学んだだけに、残念でならなかった。
たまたま11月1日も、古本屋でレヴィストロースの解説本を買ったばかりだった。

私の言葉が届くわけではないが、ご冥福を祈るほかない。
混沌とした21世紀を迎えた今、彼の死はきわめて象徴的である。

戸沢先生を囲む会 [人物]

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24日、諏訪で戸沢充則先生を囲む会があった。

1979年、私が高校3年生の時、戸沢先生に初めてお目にかかってから、今年でちょうど30年となった。
砂川、月見野、矢出川、鷹山、怒涛のごとく調査をし、新しい研究の道筋を開いてきた先生は77歳ということである。
私は、明治の卒業生でもないのに、いつも目をかけていただき、学恩は尽きない。

先生いわく「俺は泥をかぶる時にこそいる」ということだ。
捏造問題の委員長は、私だったら到底引き受けないだろう。

ただ、会では、少し寂しげな先生であった。

岩宿文化賞 木崎康弘さんに [人物]

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第18回岩宿文化賞(みどり市主催、読売新聞社後援)は、熊本県教育庁文化課課長補佐木崎康弘(53)さんに決定したと、19日に発表があった。

 九州地方で多く出土する剥片尖頭器や三稜尖頭器などを手がかりに、九州地方に独自の旧石器文化があるという仮説「九州石槍文化」を提唱。これらの尖頭器が同時期に朝鮮半島南部や関東地方まで波及したとし、従来は九州地方に限定されがちだった研究の視野を東アジア全体に広げたことなどが評価されたという。

八ケ岳も26年前の学生時代、木崎さんを熊本に尋ねて九州の細石刃石器群についてのご教示をいただいて以来のご縁である。

おめでとうございます!

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