村井長野県知事の視察 [博物館]
8月5日、村井長野県知事が、急遽、浅間縄文ミュージアムを訪問。
”こども火遊び塾”という夏休みのワークショップで対応に追われる最中、アポなしでビビった。
「リンゴでも野沢菜でもなく、黒曜石は最古の信州ブランドです」
と黒く光るヤジリをみて説明したら、結構うけた!
重文の焼町土器なども、その製作方法について興味があるようだった。
また、信州の土偶が、大英博物館に行く事にも話がおよんだ。
左手前:村井知事 左奥:茂木御代田町長
写真は、前期初頭の土器の縄文施文法について説明する様子。
博物館実習生受入れ [博物館]
8月1日より博物館実習生3名を受け入れている。
8月16日までの正味14日間の実習である。
2人の女性は奈良教育大学の年代測定を卒論とする実習生、1人は東京学芸大学の中世史の男性。
8月前半は、浅間縄文ミュージアムにとって最も入館者が多く、忙しい時期だが、よくも悪くも地方博物館の実態を見てもらえると考えている。
展示法・展示解説・資料取り扱い・体験学習指導・ミュージアムコンサート・ミュージアムワークショップなどの実習を行う予定である。
学芸員は私一人なのでキツイが、昨年の5人受入れに比べると楽である。
実習のまとめは最終日。それぞれのテーマで「企画展」を立案し、プレゼンをしてもらう。
サービス業の宿命なのだが、他人が休みのときが最も忙しい。特にGWや夏休みなど。
子供をかまってやれないのがつらいところだ。
わが子よ・・・・すまぬ!
8月16日までの正味14日間の実習である。
2人の女性は奈良教育大学の年代測定を卒論とする実習生、1人は東京学芸大学の中世史の男性。
8月前半は、浅間縄文ミュージアムにとって最も入館者が多く、忙しい時期だが、よくも悪くも地方博物館の実態を見てもらえると考えている。
展示法・展示解説・資料取り扱い・体験学習指導・ミュージアムコンサート・ミュージアムワークショップなどの実習を行う予定である。
学芸員は私一人なのでキツイが、昨年の5人受入れに比べると楽である。
実習のまとめは最終日。それぞれのテーマで「企画展」を立案し、プレゼンをしてもらう。
サービス業の宿命なのだが、他人が休みのときが最も忙しい。特にGWや夏休みなど。
子供をかまってやれないのがつらいところだ。
わが子よ・・・・すまぬ!
まが玉つくってなんぼ? [博物館]
7月の三連休が過ぎた。
今年も大勢の小学生が、まが玉を浅間縄文ミュージアムで作っていった。
年間にすると1万人以上が、まが玉を作っていく。
まが玉や火起こしの体験が、博物館でおこなう真の歴史的・科学的体験といえるのか?
疑問を呈する学芸員も多いが、確かに私自身も考え込んでしまう。
さりとて学校団体で100人規模で来られて「体験を」といわれると、やはりルーティン化したまが玉や土器作り、火起こしなどに頼らざるを得ない現状がある。人手がないのも痛い。
だから少人数でおこなうワークショップの折には、考古学的なプロセスがたどれる体験をおこなってみたい。
縄文の施文法や、石器の製作・使用実験、あるいは顕微鏡観察などもいいかもしれない。
何かいい科学的プログラムがあったら、教えを乞いたいところだ。
※ 写真は土器作り
沖縄県立博物館・美術館 [博物館]
旧博物館から場所を移して、博物館+美術館の複合文化施設としてオープンしたという。
港川の3,4号人骨のホンモノも所蔵し、復元された港川人にも会えるという。
よいとこらしい。
沖縄には10年ほど行っていないが、久しぶりに訪れてみたい。
コザの民謡酒場”スナック花ぬ島”で、一美ちゃんの島唄も聴きたいし。
それって誰??
港川の3,4号人骨のホンモノも所蔵し、復元された港川人にも会えるという。
よいとこらしい。
沖縄には10年ほど行っていないが、久しぶりに訪れてみたい。
コザの民謡酒場”スナック花ぬ島”で、一美ちゃんの島唄も聴きたいし。
それって誰??
秋篠宮ご見学 [博物館]
本日、秋篠宮とお嬢様の眞子さまが縄文ミュージアムをアポなし見学された。
ヒゲの殿下は、土偶展を見て、重文の焼町土器も見られた。
秋田(秋田埋文資料)・岩手(明大資料)の土偶を見、十日町市の縄文の石棒は念入りに観察されていた。
眞子さまは、殿下が出られても、一人でゆっくりご覧になっていた。
きっと縄文が気に入ってくれたに違いない。
説明申し上げようと思ったが、予定外のためユニクロのシャツにジーパンであまりにラフな格好であり、小心者ということもあって遠慮した。
また、眼光鋭い私服の皆様が大勢とり囲み、私などおよびでなかった。皇族もたいへんだ。
ちなみに入館料はいただいておりません。
ヒゲの殿下は、土偶展を見て、重文の焼町土器も見られた。
秋田(秋田埋文資料)・岩手(明大資料)の土偶を見、十日町市の縄文の石棒は念入りに観察されていた。
眞子さまは、殿下が出られても、一人でゆっくりご覧になっていた。
きっと縄文が気に入ってくれたに違いない。
説明申し上げようと思ったが、予定外のためユニクロのシャツにジーパンであまりにラフな格好であり、小心者ということもあって遠慮した。
また、眼光鋭い私服の皆様が大勢とり囲み、私などおよびでなかった。皇族もたいへんだ。
ちなみに入館料はいただいておりません。
悩ましい企画展 [博物館]
博物館企画展、毎回何をやるのかじつに悩ましい。
現在、「土偶展」を8月31日まで実施しているが、秋季企画展のテーマに頭を悩ませてきた。
盲導犬クイールの児童書で感動したので、撮影したフォトグラファー秋元良平さんにアタックしたところ、快く写真展の開催を承諾してくれた。
いくも企画展テーマは悩みに悩みぬくだけに、ほっとした。
「盲導犬クイールの一生」の写真展は、9月12日より11月29日まで開催される。
本日、秋元さんと詳細について打ち合わせた。
浅間縄文ミュージアムは、文字通り考古系の博物館だが、土器だけゴロゴロ並べる企画展は行わないよう、多様性に心がけている。
土偶展が8月31日まで、クイールが9月12日より、タイトなスケジュールではある。
現在、「土偶展」を8月31日まで実施しているが、秋季企画展のテーマに頭を悩ませてきた。
盲導犬クイールの児童書で感動したので、撮影したフォトグラファー秋元良平さんにアタックしたところ、快く写真展の開催を承諾してくれた。
いくも企画展テーマは悩みに悩みぬくだけに、ほっとした。
「盲導犬クイールの一生」の写真展は、9月12日より11月29日まで開催される。
本日、秋元さんと詳細について打ち合わせた。
浅間縄文ミュージアムは、文字通り考古系の博物館だが、土器だけゴロゴロ並べる企画展は行わないよう、多様性に心がけている。
土偶展が8月31日まで、クイールが9月12日より、タイトなスケジュールではある。
西都原考古学博物館 [博物館]
昨夜は、月一回の役場の宿直だということを忘れていて、ブログの更新をうっかりしそこなった。
毎日更新してたのに・・・・宿直ではよくあるヨッパライの嫌がらせ電話もなく、静かな夜だった。
いっしょに泊まった教育次長のイビキには閉口したが・・・
さて、西都原考古学博物館である。
かなり演出が入っていると聞いたが、なかなか見せてくれる博物館だった。
好みが分かれるようだが、私的にはイケてる博物館だった。
驚いたのは暗い古墳の石室内部をみせる実大の複製で、少し後で・・・・
”ふっ”と被葬者の遺体が立体映像で出てくる展示だ。
オバケ屋敷かここは!
でも、なかなかミステリアスな演出で、カメちゃんも、オッサンも驚いていた。
写真は旧石器と縄文草創期の展示。旧石器の演出は皆無だった。
石器というのは、展示にかなり苦慮するシロモノなのだ。
畦原型細石刃石核や剥片尖頭器などが展示され、見入った。
姶良カルデラの噴火映像もあった。
でもここで立ち止まる人は、フツーはいないようだ。
土偶 講演会 [博物館]
6月14日、浅間縄文ミュージアムで「土偶にみるまつり」の講演会があった。
講師は文化庁の原田昌幸さん。大英博物館の「土偶展」のプロデュースで日々忙しいなかをかけつけてくださった。至文堂・日本の美術『土偶』の著者でもある。
土偶は、人体の部分を控えめに表現した初期のものから、板状土偶、中期には立像土偶が出現し、しだいにポーズをとるようなポーズ土偶が出現すると、その変遷を述べた。先日国宝になった青森風張1遺跡の合掌土偶もポーズ土偶の典型例である。
また、精製土器と粗製土器ではないが、国宝のヴィーナスのような上位土偶と、一般的な土偶とが区別される状況も述べられて興味深かった。
美術学芸課の主任文化財調査官として超過密なスケジュールをうかがい、われながら自分の仕事の暇さに呆れたのである。
展示に物語を紡ぐ [博物館]
近くにある市立博物館が休館に追い込まれた。入館者の大幅な減少と赤字、市の財政状況が理由だという。
たとえば病院が廃止ともなるとたちまち住民生活に影響がでる。しかし、博物館がなくともいっこうに困らない。未曽有の不況も手伝って、博物館それぞれの真の存在意味が問われているといっていいのだろう。
一方、同じミュージアムでも、上田市にある無言館は年間10万人が訪れると聞く。戦禍に散った美大生の絵には、絶望の底にあっても画学生が失わなかった希望が込められているのだと窪島誠一郎館主はいう。館名の重みも含め、人をひきつける強い力が絵に存在するのだ。
私も、かつて企画した写真展「昭和のこどもたち」で、作品の放つ力を目の当たりにしたことがある。写真の主人公は昭和28年の小学1年生たち。今年100歳となる写真家熊谷元一が現阿智村で写したものだ。誰もが貧しさを抱えた時代の子供らの、遊び、けんか、学校、子守、田植えなど何げない日常を、教師でもあった熊谷の優しいまなざしがとらえた写真だ。
写真を食い入るように見つめた人びとは、やがて堰(せき)を切ったように隣人と語り始めた。
「あの頃」という懐かしさへの回帰がその足をいったんは止めさせたが、じつはモノクロームの写真の奥にある「ほんとうの豊かさとは何か」という問いかけが、観る者の心をとらえて離さなかった。
「博物館行き」となったモノを、意図もなく時代順に並べただけの骨董的展示は、近く幕を引くことになるだろう。
作品本来が備えた力を核に、織り込まれた物語をいかに引きだすか。それこそが展示という行為ではなかったか。人々の感性を揺り動かす展示の語りが生まれたなら、「博物館冬の時代」にあって、淘汰の波を抜け出す可能性が開けよう。
写真は熊谷元一撮影:「昭和のこどもたち」よりコッペパン(S28年)
朝日新聞(長野版) 2/10掲載
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000190902100001